樹齢480〜500年を超える御神木が、
「高森阿蘇神社」や「長野阿蘇神社」に現存することから、
その起源は少なくとも中世に、さかのぼります。
江戸期には、日本の銘木がそうであったように、
御用船の帆柱で使われるなど御用木として、
阿蘇一帯で造林が行われてきた記録が残っています。
近代に入ると戦時下の木材供出の時代を経て、
このヒノキを次世代に残していくという林家の決意のもと、
脈々と受け継がれていきます。1953年に発生した白川大水害を受けて、
翌年から南郷谷の調査がスタートし、1956年に、
類い希な品種として「ナンゴウヒ」が特定、命名されました。
その後、研究会、ブランド化推進協議会の発足を経て、
貴重な優良材として「阿蘇 南郷檜」を
ブランド名に冠し、現在に至っています。
- 1500年代初期
- 高森 阿蘇神社および阿蘇の神社 御神木として植えられる。
- 1700年代初期
- 大矢山の乱伐により荒廃、水源枯渇し、森に目を向けられる。
- 1951〜64年代
- 藩政改革により、植林活動が推進される。※注釈
- 1793〜1809年
- 御山支配役の木原才次により大矢山への挿し木での植林開始。
- 1700年代中期
- 深葉山の過度な森林需要により、菊池川の枯渇が懸念される。
- 1818〜30年代
- 惣庄屋の坂梨順左衛門らによる深葉山への挿し木での植林開始。
※注釈・江戸時代の熊本藩の林政は、当時全国的にさかんに行われた植林活動の中でも、
「熊本藩における水源涵養と水田稲作」として記録され、
明治時代に森林法が制定されるために集められた資料として提出。
2430件以上の調書の中から五等賞を受賞しています。
※参考文献「森林の江戸学Ⅱ(徳川林政史研究所, 2015)」より
- 1940年代
- 戦時下に木材供出を求められるが森林の一部がまぬがれる。
- 1953年
- 記録的な集中豪雨により、白川大水害が発生。甚大な被害を受ける。
- 1954〜55年
- 九州大学率いる災害調査チームが発足、阿蘇の調査を開始する。
- 1956年
- 九州大学の佐藤敬二、宮島寛により「ナンゴウヒ」と命名、発表される。
- 1982年
- 阿蘇郡ナンゴウヒ研究会発足。
- 1996年
- ナンゴウヒ研究会発足。
- 2014年
- 阿蘇南郷檜ブランド化推進協議会発足。
「阿蘇 南郷檜」というブランド名が冠される。
※注釈・熊本県林業研究指導所と地元篤林家が中心となり研究会を発足。
熊本県内外から熱心な林業家や森林総合研究所、大学から総勢200名ほどが集まり、
ナンゴウヒをはじめとした九州のスギ・ヒノキについて意見交換を行った。
この活動が現在のブランド化協議会の礎となっている。